戦後75年 令和2年 終戦の日に – 戦争体験 『戦時下・戦後を生きてⅡ』山梨平和ミュージアム編/山梨ふるさと文庫刊の出版を記念して通信販売をはじめました。
こんにちは、八ヶ岳コモンズです。
八ヶ岳コモンズ(運営:NPO法人地域資料デジタル化研究会)では、山梨ふるさと文庫出版の書籍の販売も行っております。
まずは、令和2年の終戦記念日にむけて、NPO法人山梨平和ミュージアム編/山梨ふるさと文庫刊の4冊を通信販売いたします。
あの戦争を伝える4冊
- 『伝えたいあの戦争』山梨県戦争遺跡ネットワーク、山梨平和資料センター準備会編 1500円+税
 - 『伝えたいあの戦争Ⅱ』山梨平和ミュージアム編 1,500円+税
 - 『戦時下・戦後を生きて』山梨平和ミュージアム編 1,500円+税
 - 最新刊
 - 別途送料 1〜2冊 370円、3〜4冊 520円
 

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最新刊 戦時下・戦後を生きて – 戦後七五年にあたって-

目次
- 一 戦時下・戦後を生きて
- 戦争は人間を狂気に-外蒙抑留体験記-
 - はるかとなりしあの夜 甲府空襲
 - 戦争の思い出
 - 平和への願い-甲府大空襲と従軍看護婦の体験から-
 - 図書館と子どもの本の仕事に関わって
 - 学徒動員で第一海軍燃料廠に
 - 孫に伝えておきたい戦争
 - 少年(一五際)の甲府空襲体験
 - 甲府動物園を守った家族
 - 軍国少年慰問の手紙始末
 - 私の戦中戦後体験
 - 甲府七夕空襲〜七五年前だった
 - 熊本大空襲と一少年
 - 三回の空襲をくぐり抜けて
 - 昭和二〇年
 - 子どもと戦争、そして、さくら座
 - 甲府空襲の記憶
 - 甲府空襲体験を通して
 - 私の戦時下・戦後体験記
 - 戦時を知るからこそわかる憲法の価値
 - 軍国少年「ボクの戦中記」
 - 戦中少年の記憶
 - 勇しかった兄に支えられて
 - 甲府空襲を逃れて-ある少年の記憶-
 - 信州上伊那に疎開した陸軍登戸研究所
 - 戦後七五年、横浜空襲体験から
 - 私の戦中・戦後、そして、萩田さんのこと
 - 戦争遂行のため大震災は隠された
 - 平和の実現へ-戦争の悲惨を超えて-
 - 父と母の生きた時代と戦後の家族のくらし
 - 父と息子の戦争対話
 - 戦時下・戦後を生きて
 - 沖縄戦の傷跡-世界遺産「座喜味城址」を持つ集落の戦争-
 - 子・孫の世代に戦争の火種をなくしたい
 
 - 二 戦後を生きて
- 日本人のベトナムへの三度の加害
 - 争議体験と山梨民医連への参加
 - 戦争を知らない私と湛山先生
 - わたしの戦後史-戦争責任・未来責任を見つめる-
 - 戦後七五年 女たち
 - 日本はドイツを見習ったらどうか
 - 関東軍衛生兵だった父の回想録を読んで
 - 父の遺品『われ等の昭和二〇年』を手にして
 
 - 三 資料
- ハーグ平和アピール市民社会会議
 - アジア太平洋戦争各国の被害
 - 戦士の実態-餓死した英霊たち
 - パリ不戦条約
 - 国際連合憲章
 - ポツダム宣言
 - 日本国憲法
 - 村山富市内閣総理大臣談話
 - 十五年戦争関連年表
 - 戦後史年表
 
 - あとがき
 
伝えたいあの戦争-戦後六〇年にあたって-

【目次】
- 一 外地での体験
- 私はノモンハン事件の生還者
 - ミッドウェー作戦に参加して
 - 日本軍が北支山東省で行った戦争の実態
 - 肝だめし-中国山東省での加害体験-
 - 俺の青春-北支での戦争体験-
 - 死線を超えて
 - ああ輸送船帝亜丸-バシー海峡での惨劇
 - レイテ戦・リモン峠戦線の死闘
 - 海軍第三野戦病院の惨劇
 - 死んだ人たちへの供養
 - 遠い日の八月十五日-中国での体験と日中友好-
 - 八路軍とともに
 - 北満からの奇跡の生還-家族とともに
 - 忘れえぬ満洲
 - シベリア抑留体験記
 - 兵どもの涙と雄叫び
 
 - 二 内地での体験
- 戦争に正義はない
 - 戦争中毒の克服を
 - 戦争と青春
 - 戦中・戦後を生きて
 - うず潮-ある青春と敗戦前夜の軍隊
 - 暗い谷間の青春-一五年戦争を生きて-
 - 私の受けた戦時教育
 - 戦時下の旧制中学校と学徒動員
 - わが家の戦中・戦後
 - 戦争体験と世界平和
 - 桑の実を見るたびに思い出すこと
 - 甲府空襲と本土防衛
 - 中三敗戦日記
 - 逆さ花火
 - 甲府空襲・弟の戦死
 - 軍国少女から戦争の語り部へ
 - 私の戦争体験覚え書き
 - 戦争と女学生だった私
 - 父は中学校の教師でした
 - 白血病で逝った孫-おびえて生きる被曝者の切なさ-
 - ヒロシマの記憶から-人を、命を尊ぶ世界へ-
 - 学童集団疎開の四二九日
 - 戦前の人権侵害について
 - 太平洋戦争とキリスト教
 
 - 三 資料
- アジア太平洋戦争各国の被害
 - 山梨県内旧市町村別戦没者数
 - ポツダム宣言
 - パリ不戦条約
 - 国際連合憲章
 - 日本国憲法
 - 教育基本法
 - 十五年戦争関連年表
 
 - あとがき
 
伝えたいあの戦争Ⅱ-戦後六五年にあたって-

【目次】
- 一 外地での体験
- 五味民啓さんの戦地からの手紙
 - 父の手紙について
 - 日中戦争初期におけるある陸軍伍長の洗浄日記
 - シンガポール攻略戦に参加して
 - フィリピン・満洲・シベリアでの体験
 - 衛生兵としての中国での加害体験
 - グアム島での戦傷とジャングル生活
 - グアム島での戦闘、そして、ジャングル生活
 - 満鉄から国境部隊、そして、シベリア抑留へ
 - 少年兵ニューギニアに潰ゆ
 - 海軍で学んだこと
 - 看護兵として中国済南鉄路病院へ
 - 私は忘れない
 - 満洲からの引き揚げと父の死の記録
 
 - 二 内地での体験
- コンステレーション
 - 甲府は無防備都市だったのか
 - 忘れてはいけない
 - 「父の医ノート」と激動の幾星霜
 - 私の戦争体験と今遺したい思い
 - 甲府空襲体験から憲法九条擁護まで
 - 甲府空襲・姉の死・兄の復員
 - 五歳の戦争体験
 - 私の被曝体験
 - 初年兵六か月
 - 馬鹿げた「自刃の決意」
 - たった一つのドラマ
 - 生と死の狭間に戦争と共に生きて
 - 海軍少年兵-悔い多き征春-
 - 学徒動員の思い出
 - 甲府中学・戦時中の勤労動員日記より
 - 戦時下の農村と悦夫さんの本音
 - 私の家族と戦争-甲府空襲・次兄の死-
 - 私の銃後体験と兄の死
 - ああ、「神風よ」
 - 戦時下の子供時代
 - 学童疎開と甲府空襲の思い出
 - 甲府での一年-昭和一九年九月〜二〇年八月-
 - 私の「太平洋戦争」
 
 - 三 資料
- 核兵器廃絶平和都市宣言(甲府市)
 - アジア太平洋戦争各国の被害
 - 戦死の実態-餓死した英霊たち-
 - ポツダム宣言
 - パリ不戦条約
 - 国際連合憲章
 - 日本国憲法
 - 教育基本法
 - 十五年戦争関連年表
 
 - あとがき
 
戦時下・戦後を生きて

【目次】
- 一 外地での体験
- 戦争体験を文字の鎖で
 - シベリア抑留体験
 - 戦地・中国での終戦状況
 - BC級戦犯として処刑された伯父の無念
 - 戦争に翻弄された私の青春
 - 私の満洲からの引き揚げ体験
 - 満洲引き揚げ体験記
 - 国策だった満蒙開拓
 - 豊村開拓団の悲劇
 
 - 二 内地での体験
- 百一歳の老兵
 - ヒロシマを体験して
 - 父の出征と学徒動員
 - 兄の戦死と実家の戦後
 - 子どもの頃、戦争があった
 - 学徒勤労報国隊としての青春
 - 新しい生きざまを-戦争体験を踏まえて-
 - 戦時下を過ごした一女学生の思い
 - 甲府空襲体験から日中友好へ
 - 敗戦から七〇年の今
 - 回想 甲府空襲
 - 一九四五年七月六日、そしてその後
 - ふたつの記憶
 - 戦争から地域と命を守ったはなし
 - 戦時下の思い出-鶴と少年〜終戦へ-
 - 忘れえぬあの夏
 - 疎開の思い出といま私の言いたいこと
 - 銃後に生きた少国民
 - 私の原点-痛恨の極み-
 - 疎開、敗戦そして戦後
 
 - 戦後の体験と思い
- 甲府空襲のB29搭乗員と会う
 - 戦争体験を平和活動に
 - 戦中戦後体験と今の憂い
 - 餓鬼だった私
 - 占領下の学生と若者たち
 - 新しい憲法に励まされて
 - 戦争は日常から戦争はNOへ
 - 今を、黙っていられない私がいる
 - 戦時下、そして、戦後の記憶
 - 激戦地レイテ島への私の想い
 - 原子力が恩恵から恐怖に!
 - 父と海軍の記憶を訪ねる旅
 - 父のこと
 
 - 四 資料
- 核兵器廃絶都市宣言(甲府市)
 - アジア太平洋戦争各国の被害
 - 戦死の実態-餓死した英霊たち
 - パリ不戦条約
 - 国際連合憲章
 - ポツダム宣言
 - 日本国憲法
 - 村山富市内内閣総理大臣談話
 - 十五年戦争関連年表
 - 戦後史年表
 
 - あとがき
 
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